ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館
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沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子学徒隊219名は、補助看護婦として南風原陸軍病院に動員され123名が犠牲になった。守備隊の南部撤退で、学徒も喜屋武半島へ移動したが、1945年6月18日の解散命令後、戦場をさまよい、多くの学徒が悲運に倒れた。現在のひめゆりの塔の場所は第三外科壕の跡で、米軍の攻撃で一挙に46人の学徒、職員がなくなった。ひめゆりは両校の同窓会の名前である。 (沖縄県歴史教育者協議会編『平和のためのガイドブック 沖縄』より抜粋)
  さらに詳しくはこちらを見て下さい<<ひめゆり平和祈念資料館>>
1.入り口 第3外科壕跡に初めてたてられ
「ひめゆりの塔」
陸軍病院第三外科壕があった壕
2.兵士の看病を続けた2つの学園の女学生たちの慰霊塔。
      生徒と先生の名前が刻まれている
沖縄戦殉職医療人之碑
軍に協力、住民の衛生、保険、治療に各地で活動し、戦死した 医師、薬剤師、看護婦等約50余名の冥福を祈る碑。
3.ひめゆり学徒隊のたどった運命が記述されている石碑
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いつまでもかなしくも   あらん
    やすらかに  ねむれとぞ
      いのるまなびの  ともは
            仲宗根政善
4.ひめゆり平和祈念資料館
        1989年に、ひめゆりの塔に隣接して、学徒隊の方々が学んだ学校の学者を模して造られた
        1室=沖縄戦前夜            2室=南風原陸軍病院
        3室=南部撤退と喜屋武半島     4室=壁に200余名の犠牲者の遺影
        5室=回想と特別展示室
このHPのページを作るか、かなり迷った
しかし、リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー独大統領の演説、「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となる」 を思いだし、あえて製作した。 合掌
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